今日のネタ 『粗忽長屋』

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     度が過ぎるほどの粗忽者の八五郎。信心はまめで、毎朝浅草の観音様にお参りに行く。と、いつものように雷門を抜け、広小路にさしかかったところで黒山のような人集りに遭遇。何があったのかと周りに聞いてみると、行き倒れだという。何だか分らないが、行き倒れを見てみたいと集まっている人の股の下をはって集まりの中心へ来た八五郎。役人は行き倒れの知り合いがないのかと探していたところで、とりあえず八五郎にも確認してもらう。
     八五郎しばらく、誰かに似ているなと考えていてはっと気付く。
    「こいつは熊五郎じゃねぇか!」
     役人が八五郎に尋ねると、「熊五郎は同じ長屋の隣に住む兄弟分。今朝会ったときに心持ちが悪いと言っていた」と八五郎は説明する。
    「それじゃあ、他人だ。この死体は昨夜からここにあるんだ。」
    「うるせぇ。いつもぼーっとしてる熊だ。きっと自分が死んだことに気付かないんだ。心持ちが悪かったのが証拠だ。今当人を連れてきて確認させるから待ってろ!」と役人が止めるのも無視して走って長屋に戻る八五郎。

     長屋に戻った八五郎は、寝ていた熊五郎を叩き起こしておまえは死んじまっている、おめえよくのん気に寝てられんなと息巻く。この熊五郎、八五郎と同じくらいの粗忽者。熊五郎にお前は死んでいると言われると自分でもそんな感じがしてきてしまう。
    昨夜のことを八五郎に尋ねられるが、本所の親類のところでしこたま飲んで吉原を冷かして、また田町でしこたま飲んだまでは覚えている。それを聞いた八五郎、「田町から虫の息で仲見世あたりでふらついて、そこで転ぶかなんかして死んじまったんだ。」と。死んでしまったのはしょうがない。自分の死骸を引き取りに行くんだと熊を連れて広小路へ。
     再び現れた八五郎に呆れる役人をよそに、死体を見る熊。しばらく見ていると、「ああ、やっぱりこの死体はオレだ!」。そうだろうと八五郎。
     死体を抱きかかえる熊、
    「あぁ・・・。なんと浅ましい姿になってしまって。死ぬんだったらもっとうめぇものを食っときゃよかった。でも、兄貴、何だかよく分らなくなっちまった。」
    「何がだ」

    「抱かれているのは確かにオレだ。でも、抱いているオレは一体誰なんだ。」


     この噺は滑稽噺なんでしょうが、どこか哲学的な感じを漂わせている作品ですね。それはサゲの「抱かれているのは確かにオレだ。でも、抱いているオレは一体誰なんだ。」という一言に尽きるわけですが。でも、ここから人間についてだとか、意識だとかを哲学的に考えるのは何だかイヤらしいのでやらない。あくまで落語的にこの噺を捉えるのがこの噺を楽しむコツでしょう。つまり、このサゲは哲学的というよりも、1つのユーモアとして楽しむのが正解でしょう。
     先日の『権太楼日曜朝のおさらい会』で権太楼師匠が言っておりましたが、落語には2つの種類の噺がある。1つは物語があってそれに沿って噺を勧めるもの。もう1つは物語はなくって登場している人物で噺を進めるもの。断然、人物で噺を進めるネタのほうが難しいとのこと。そして「粗忽長屋」も物語を聴かせるのではなく、人物を聴かせるネタだから難しいと。まあ、聴いているほうは難しく考えず、ただ笑って聴くのがベストですがね。
     このネタと言えばやはり5代目小さん師匠が抜群でしょう。あまりにも完成され過ぎているために、直弟子では小三治師匠しかこのネタは演じていないらしいですね。それも小三治師匠もほとんど演じないとか。そう考えると、先日小三治師匠の「粗忽長屋」を聴けたのはかなりレアだったんでしょうね。

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